いきなり唐突ですが、光GENJIってご存知ですか?Webライターである管理人は小さいころに光GENJIが人気だった世代で、おそらく自分と同世代で光GENJIを知らない人はいないでしょうね(笑)
ただ、「光GENJI」って言葉は知っていても実際にはあんまりよく分からないというか、「ローラースケートで歌って踊っていた人たち」くらいの認識なんじゃないかなと思うんですよね。
それに以降のアイドルと比べると短命だった点、さらには直の後輩がSMAPだったのでどうしても勢いに押されたというか。解散してしまっているのもありますし、なんとなく「昔流行ったアイドルグループ」くらいの認識かもしれませんが、管理人的に、「近代ジャニーズの始祖」とも言うべき存在だと思っています。
そこで、せっかくなので光GENJIについてちょっといろいろと語らせてください。
光GENJIは1987年8月19日デビューの7人組アイドルグループです。
内海 光司、大沢 樹生、諸星 和己、佐藤 寛之、山本 淳一、赤坂 晃、佐藤 敦啓の7人で年長の内海 光司、大沢 樹生の2人が「光」、その他の5人が「GENJI」ってグループで合わさって光GENJIと(笑)
直の先輩は少年隊ですけど、ちょっと関係が複雑なのが男闘呼組。男闘呼組と仲が悪いって意味じゃなくて、男闘呼組は光GENJI…というかGENJIにとってはほぼ先輩なんですよね。内海 光司からすると後輩、大沢 樹生からだと同期くらいですかね。ただ、デビューは光GENJIの方が先っていうジャニーズあるあるですね。
まぁとにかく売れに売れました。それに、それまでの少年隊って割と大人向けというか、うちの母親とかも好きだったくらい、「しっかり踊って歌います」みたいなグループだったんですけど光GENJIはもうちょっと若い層というか。
その点では今のジャニーズの、いわゆる「若い女の子たちから黄色い声援を受ける存在」って部分をより色濃くしたアイドルたちですよね。
光GENJIは、知れば知るほど今のジャニーズのパイオニア的な存在だってことが分かります。そこで、多少都市伝説もあるかもしれませんが、今まで続いているジャニーズ文化の中で、光GENJIが発祥とされていることをいくつか紹介していきましょう。
メンバーカラー、略してメンカラですね。これ、光GENJIが元祖ですよね。
内海 光司:青
大沢 樹生:紫
諸星 和己:ピンク
佐藤 寛之:水色
山本 淳一:赤
赤坂 晃:緑
佐藤 敦啓:黄色
ただこれは、デビュー時からではなくて、徐々にできあがっていったものですね。1990年12月31日の紅白歌合戦の時には確立されていますけど、その前年の1989年12月31日、「太陽がいっぱい」で出場した紅白歌合戦では微妙に色が違うんですよね。だから1990年の間にできあがっていったと推測されます。
センターだった諸星さんがピンクなのは、大ヒットしたパラダイス銀河の衣装でピンクのサテンのものがあったから、そこで「光GENJI=ピンク」みたいな印象が付いたからでしょうかね。
いずれにせよ、今のジャニーズはデビューはおろか結成段階でメンカラが決まりますけど、メンカラって文化が生まれたのは光GENJIの時なんです。
ジャニーズのライブでは360度ステージは当たり前ですけど、これも光GENJIからって言われていますよね。それまでのコンサートでは、体育館式っていうんですかね。
壁面にステージを設定して、観客は一方向で見るって形でしたけど、光GENJIから観客がステージを囲むような形、つまり360度どこからでもステージを見ることができる形になったんですね。
あまり良いものではないと思われる方もいるかもしれません。今の時代だと、クチパクは「歌唱力を誤魔化す」みたいな意味合いが強いですよね。
でも当時、光GENJIがクチパクだったのは音楽番組に入っていた観客の声が凄すぎて、マイクに入っちゃうから番組の音声として成立しない状態だったので、マイクをオフにしたって話がありますよね。
…まぁこれは都市伝説です(笑)
噂話ではありますが、ただ実際に当時の観客が入っている時を見ると、ものすごいです。歓声というよりも悲鳴というか(笑)
番組スタッフがマイクをオフにしたくなるのも分からない話ではないかなって。ただ、観客が入っていないスタジオ収録でもクチパクなので、これは後付的な都市伝説の可能性が高いですが(笑)
この点に関してはいろいろと言われていますけど、個人的にはやっぱりSMAPの存在が大きかったんじゃないかなって思いますね。
SMAPは$10くらいからは1位こそ取れなかったものの、オリコンの売上的には結構いい線いってたんですよ。
夢がMORIMORIで一般層への露出が増えたのと、そこでしっかり「バラエティ」をやったからだと思いますが、一方の光GENJIは初速型というか、一週目こそ必ずトップ10には入るけど、でも2週目以降は…みたいな。
それでSMAPが台頭してきた時、大沢さんと諸星さんがいろいろと思うことがあったんじゃないかなと。ただ、二人の「いろいろ」は全く別のベクトルというか、大沢さんからすると「頼れる後輩が出てきたからあとはアイドルはSMAPに任せたい」的なものがあったのでは…と。
一方、諸星さんとすれば後輩に抜かれる悔しさもあったとおもうんですよね。
解散理由は本人たちの口からも語られていますけど、真実なのか、あるいはエンターテイメントなのかは分かりません。ただ、いろいろと考えるのもそれはそれで面白いんじゃないかなと(笑)
管理人は光GENJIが大好きですが、いくつか残念に思うことがあります。
これはもう光GENJIを最後まで応援した人なら皆思うんじゃないですかね。というのも、光GENJIはとにかくデビューから3年くらいのインパクトが強すぎるので、どうしても「ローラースケートで踊っているグループ」で、ともすれば「パラダイス銀河」のイメージが強すぎるんですよね。
ちょっと語弊があるかもしれませんが、ギミックというかイロモノというか。でも、光GENJIの本当の意味での全盛期って1991年以降、彼らが大人になり始めたくらいだと思っています。そのころは人気も落ち着いてきた段階だったんですけど、ビジュアルや踊りのクオリティとか高かったんですよね。
でも、その頃は既に「過去の人」とまではいいませんが、なかなかかつてのような注目を集めることはなかったんです。
1992年前後の大沢さんとか、今見ても圧倒的イケメン感半端ないんですけどね(笑)
つまり、光GENJIのグループとしてのクオリティが高まっていた頃って、あんまり知られていないんですよね。そこがとっても残念です。
光GENJIは1994年に大沢さんと佐藤寛之さんが抜けて5人となります。ここでは解散ではなく「光GENJI SUPER5」となったんですけど、これは諸星さんがソロでデビューしたことでもう1年続けざるを得なかったって著作で述懐していますね。
やや話を盛る傾向のある諸星さんですが、この辺りはリアルなのでそうなのかもですね。
そして解散後、光GENJIはあんまり見かけなくなってしまいますね。今では内海さんとあつひろさんでBSの番組をやってますし、たまに後輩と一緒にテレビに出ていたりしますね。いつだか音楽番組でHiHi Jetsの皆さんと一緒にデビュー曲のSTAR LIGHTを歌っていましたが。
いずれにせよ、彼らの姿を見かける方がレアですよね。
ファンであれば再結成を望んでいることでしょう。でも、管理人は否定派なんです。やっぱり光GENJIって「キラキラなアイドル」なんですよ(笑)
今でいえばなにわ男子とかですかね。もうこの世とは別次元っていうか、「アイドル!」みたいな。
だから再結成してそのイメージを壊してほしくないって思いがあります。思い出は思い出のままというか、むしろ思い出だから綺麗に輝く部分もあるじゃないですか(笑)
光GENJIが解散したのが1995年9月。スマートフォンはおろかDVDもまだまだ普及していない時代なので、当時のまさに「ザ・アイドル!」な彼らは、YoutubeやTikTokの違法アップロードくらいでしか楽しめないんですよね。
でも、今でも購入できるものがいくつかあるので管理人の主観をたっぷり交えて紹介します。
これは1STアルバムですね。まだまだ赤坂さんが声変りをしていないころで、デビュー当時の光GENJIの「どこか儚い感」が出ているアルバムです。
アルバムではあるんですけど、当時とにかく人気だったので全曲どこかしらの歌番組で披露していますね(笑)
いずれも飛鳥涼プロデュースなので曲のクオリティも高いです。あと、シングルとなっているSTAR LIGHTとガラスの十代はテレビと同じバージョンなので、テレビ番組で聞きなれた人にはこちらの方が馴染みがありますね。
「初期の懐かしさを味わいたい」「初期の世界観を聞きたい」って人におすすめです。
これはパラダイス銀河を歌っていないので、ガラスの十代をリリースして以降、パラダイス銀河をリリースする前のものでしょうね。とにかく「動いている彼らの公式映像」としてとっても貴重です(笑)
今のジャニーズを見ている人にとっては、クオリティは低いって感じるかもしれません。それこそHiHi Jetsのローラースケートアクションと比較したら、雲泥の差なのは光GENJIファンの自分でも認めざるを得ません。
でも、「動いている彼ら」を見たいって人にとってはたまらない作品ですね。
さっき紹介したアルバムの曲を含めて、いろいろと歌っています。この時はまだ360度ステージではありませんけど、彼らなりに一生懸命歌って踊ってをしている姿はいろいろと貴重だと思いますよ。
「動いている初期の光GENJIを見たい」って人におすすめですね。
これまで割と初期の話をしていましたが、この作品は大沢さんと佐藤寛之さんが抜けるコンサートですね。
画像からも分かると思いますが、すっかり大人になって格好良くなった彼らを楽しめますが、最後は2人が抜けるってことでどうしてもしんみりしたものになってしまいますね。
そういえばこの作品、途中のMCで若かりし頃のTOKIOも登場します(笑)
TOKIOファンの方にとっても注目かもしれませんね。
これは光GENJIがリリースしたシングルの中から厳選された16曲が入っていますね。とりあえず、光GENJIを代表する曲たちで、コンサートで歌われることも多かったので、これを抑えておくと「光GENJIファン」として恥ずかしくないかなと(笑)
多分自分も光GENJI熱が再燃した時にこのアルバムを聞いたんですよね。
WINNING RUN、リラの咲くころバルセロナへ、BOYS in Augustとか後期のクオリティの高い光GENJIを楽しめますよ。
確かWINNING RUNはKis-My-Ft2がデビュー前後の頃に歌っていたので聞いたことがある人もいるかもですね。
先程紹介した光GENJI ベストが「シングルを並べたアルバム」なら、こっちの光GENJI All Songs Requestは「リクエスト」って単語があることからも分かるように、光GENJIのファンによる投票で収録曲が決まったものなんですよね。
だからシングルの羅列じゃなく、ファンにとって思い入れのある曲が入っていますね。
2.5.7とか…。はシングルではないですけど、光GENJIファンにとってはお馴染みです。
だからまずはさっき紹介した光GENJI ベストを聞いて「もっと光GENJIの曲を聞いてみたい」って思った人向けですね。
あとはいろいろと動画を見て回って、じっくりと曲を聞きたくなった人とか。あとさよならの情熱、これもKis-My-Ft2が歌っているのを見たことがありますね。
注目はHeartの地球儀としょーがないよ!ですかね。この二曲って確か初音源だったような?MVみたいなものに収録されていたんですよね。
Heartの地球儀は他に入っていたような気がしますが、いずれにせよその映像はもう入手困難なので貴重です(笑)
ということで、なぜか急に光GENJIの話になってしまいましたが、光GENJIが好きだった人、なんとなく最近興味がわいたって人まで入手可能なものから楽しんでみてくださいね。
個人的には1991年~1993年こそ光GENJIの全盛期だと思っていますが、その頃の作品が無いのが本当に残念です。
それでも人気絶頂だった頃はなんとなく「ふーん」くらいだった人も、今見てみると印象変わると思います。
今の時代の洗練されたジャニーズタレントたちと比較するのは酷かもですが、あの時代だからこその輝きというか、存在感は特別だと思いますね。